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~道の花は強かに生きる~ 9

last update Last Updated: 2025-08-23 12:12:58

 母の名を知らされていない道花は父の名も知らない。けれど、幼いころから自分を影で支えてくれたおおきな手のことはしっかりと記憶している。バルトは最後まで自分は父だと名乗らなかった、けれど父のような存在として幼いころの道花を支えてくれたひとだ。

「女王陛下を裏切った番犬なら、かの国の王様に喜んで尻尾を振っているんじゃないの?」

 けれどカイジールはあえて突き放すように道花に告げる。セイレーンに生まれながら、母国を裏切りかの国の政務官となった彼のことを、カイジールは受け入れられずにいる。そのことを知っているから、道花もあっさり応える。

「神皇帝の傍にいるなら、それでいいんじゃない?」

「な」

「だって馬留人さまは当時の神皇帝にセイレーンでの能力を認められて、引きぬかれたんでしょう?」

「だからって、女王陛下の傍にいた彼が、簡単に寝返るもんか……」

 オリヴィエが道花に殺意を膨らませるのを見ていられなくなって、ひとり逃げ出したのかもしれない。それとも、別の理由が存在するのだろうか……カイジールが困惑した表情を見せると、道花は思いついたことをためらうことなく口に乗せる。

「慈流は女王陛下と馬留人さまが恋人同士だって実際に見ているからそう思えるんだろうけど、あたしが生まれたときにはもう彼はかの国の政務官になっていたんでしょう?」

「けど、愚王と辱められている先代の神皇帝に仕えなくてはならなくなった事情がボクにはわからない」

「あたしもわからないよ。なら帝都に行って馬留人さんに逢ったら訊けばいいじゃない」

 神皇帝の妃になるのなら、彼に仕えているであろうバルトにだって容易く接触できるはずだ。道花は当り前のように提案して、ひとりで納得している。

「……訊く暇があればね」

 苦笑を浮かべながらカイジールは応える。

 自分は少年王、九十九代神皇帝を殺すつもりで帝都へ向かうというのに。国を奪われ幽閉された女王陛下を救わねばならないというのに。

 なぜだろう。

 絶対的な女王オリヴィエに忠誠を誓いながらも、心の奥底には自由に泳ぐ道花に憧れを抱いている。母に生命を狙われ
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